京都市上京区の一条戻橋

京都市上京区の一条戻橋

京都市上京区の一条戻橋

京都の上京区に、不思議なミステリースポットがあります。
それは小さな橋なのですが、ミステリーが大好きだという人達の間では結構有名な橋ではあります。
その橋の名を一条戻橋といいます。
どうして戻橋と呼ばれているのでしょうか。
それはどうやら死者が生き返るから、なのだそうです。
なにやら不思議で怖い話ですね。

 

昔、三善清行という人が亡くなり、葬列がこの橋を通っていたときのことです。
清行の子供は修行先で父の死の知らせを聞き、慌てて都へ戻り、この葬列の場で父の亡骸にすがり泣いて悲しみました。
そして、生き返ってほしいと神仏に願うと、なんと父が生き返ったとのことです。
それ以来、この橋は一条戻橋と呼ばれるようになったそうです。
戦時中は、兵士が生きて帰ってこれるようにと、この橋を渡ったとのことです。

 

この一条戻橋がミステリースポットである理由は他にもあります。
ここは、たくさんの罪人の首がさらされた場所でもあるのです。
有名なのは、千利休の首です。
千利休の邸宅は、一条戻橋の近くの晴明神社の辺りであったようです。
晴明神社とは、平安時代の有名な陰陽師、安倍晴明を祀る神社です。
この神社の境内には、古い一条戻橋の欄干が置いてありますが、千利休は、自分の邸宅近くの橋でさらし首にされてしまったのです。
とても辛い最期だったのですね。

 

一条戻橋の言い伝えはまだあります。
平安時代、源頼光の四天王に渡辺綱という人がいて、ある夜、綱が戻橋を通ったとき、女性に声をかけられました。
女性は帰り道を送ってほしいと願うと綱はそれを承諾しました。
すると女性は鬼に豹変し、綱の髪をつかみ愛宕山の方へ飛び立とうとしました。
綱は刀で鬼の腕を切り落とし、難を逃れたそうです。

 

死者が生き返ったり、さらし首の場であったり、鬼が出たり、一条戻橋はやはり怖い場所なのですね。
その他、こんな話もあります。
陰陽師が操る十二の神であるシキガミは、人の形をした紙人形ですが、安倍晴明の妻がこれをとても怖がったため、安倍晴明は、普段シキガミを一条戻橋の下に隠していたそうです。
この話だけは心がほっこりしますね。

 

穴場のミステリースポットである一条戻橋、是非観光で訪れてみて下さいね。

京都市上京区の宴の松原

京都の上京区に、不思議な言い伝えが残っている場所があります。
そこは、今となっては石碑が建ち、側には説明板が添えられているだけなのですが、なんとも怖い出来事が言い伝えられているミステリースポットなのです。

 

その場所の名前を宴の松原といいます。
宴の松原というのは何かというと、平安京大内裏の内裏の西側に位置した、広い空閑地のことです。
鬱蒼とした松林で、今と違って電気のない時代なら、真っ暗でとても不気味な場所だっただろうと想像できます。

 

いったい何のための場所だったのか、ということははっきりとはわかっていないそうです。
天皇の代替わりのときに、内裏建て替えの為においてあった土地だという説や、字の通り、宴を催すための場所であったという説もあります。

 

謎に満ちた宴の松原ですが、昔の書物に、この場所でおきた奇怪な事件について書かれている話が載っているのでそれを紹介したいと思います。

 

みなさん、今昔物語集はご存知でしょうか。
平安時代の有名な説話集ですが、この中に、宴の松原のことが載っています。
その他、日本三代実録という書物の中にも同じ話が記されています。

 

その中身はこのような感じです。
仁和3年(887年)のある夜、若い女3人が宴の松原を通りかかると、松の木の下に一人の男が出てきました。
男は3人のうちの1人を、木の陰に連れていきました。

 

なかなか帰ってこないし、話し声も聞こえなくなったので、怪しく思って2人の女は松林に入りましたが、男も女もいませんでした。
辺りを見回すと、女の手と足だけがバラバラに落ちていました。
2人の女は驚いて走って逃げました。
鬼が男の姿をして女を食ったに違いないだろうと人々は言いました。
大内裏は大騒ぎになりました。

 

その他、肝試しをしていた男が宴の松原の中から声がするのを聞いて逃げ帰ったという話など、まだまだこの宴の松原に関する話はありますが、どうやらこの場所は、鬼や妖怪の出る、恐ろしい場所として認識されていたようです。

 

京都を観光で訪れる人は多いと思いますが、このようなミステリーを感じられる穴場のスポットに行くのもまた面白いと思います。
鬼や妖怪がいたという宴の松原に、是非一度、足を運んでみて下さい。

 

京都市上京区の鵺池

京都の上京区には、ミステリー好きの人にとって、とても魅力的な場所があります。

 

その場所の名は、鵺池です。
鵺池は、二条城の北側にある二条公園の奥にあります。

 

ところで、みなさんは、鵺とは何かご存知でしょうか。
鵺は、古くから伝わる妖怪で、顔は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇という、すごい姿をした妖怪です。
みなさんもどこかで一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
この鵺が、平家物語の中の話として出てきます。
どんな話なのか、ここで紹介したいと思います。

 

平安時代、近衛天皇は、毎晩得体の知れない鳴き声と黒煙に恐れおののき、床に伏せてしまいました。
そこで、弓矢の達人であった源頼政は、その得体の知れない鳴き声の主である鵺を退治してほしいと頼まれました。
頼政が、鳴き声のする方へ矢を射ると、見事鵺に命中しました。
鵺が退治された後、床に伏せていた天皇はみるみるうちに回復していったとのことです。

 

源頼政の矢が命中した鵺は、二条城の北の方へ落ちていきました。
鵺の落ちた場所が、現在の二条公園のある場所なのです。
頼政は、鵺退治に使った矢を池で洗ったそうですが、その池が、二条公園の奥にある鵺池だったということです(現在の鵺池は復元されたものだそうです)。
そこには石碑が建っていて、もう字は読めませんが、どうやら鵺池のことが書かれているようです。
さらにその北側には鵺大明神の祠があります。そこには、鵺池の新しい石碑が建っています。

 

京都は、このように不思議な伝説が数多く残っています。
京都は、世界中から多くの観光客が押し寄せる魅力的な街で、有名なスポットもたくさんありますが、不思議な伝説が残るミステリースポットもまたたくさんあるのです。
私は以前京都に住んでいたのですが、ミステリーが好きなのに、あまりそのような場所に行きませんでした。
それを後悔しています。
鵺の伝説が残る二条公園の鵺池は、ミステリー好きな人にとって、穴場のスポットだと思います。
私も観光で京都を訪れることがあったら、鵺池に行ってみようと思っています。
京都という街は、歴史の流れを感じるのに最適の場所です。
みなさんも、是非鵺池に行って、昔の京都に思いを馳せてみて下さい。